突然ですが、わたしはこのことを聞かれるといつも回答に困ってしまう、そんな質問があります。
一つ目は、「出身地」
二つ目は、「職業」
大人になると、ある程度自分のことを説明できるテンプレートを持っている人がほとんどなのではないかと思います。
趣味は? 好きな音楽は? 嫌いなものは?
一問一答形式でテンポよく答えられるのは、短い言葉で自分を知ってもらえるいいチャンス。
しかし、私の場合「自己紹介頻出問題」上位を占める、「出身地」と「職業」は、どうしても一言で表せないのです。
まず、出身地から。
私は東京生まれで、小学生まで東京の下町・葛飾で育ちました。
この街が大好きで、東京にありながら駄菓子屋や八百屋、神社、相撲部屋なんかも近くにあって、遊び場には困りませんでした。
シンフォニーヒルズでは、クリスマスにちょっとおめかしして家族でハンドベルコンサートへ出かけたり。
中川の土手に落ちている空き缶を拾って、テクノプラザのハイテクリサイクルマシンでお小遣いを稼いだり。 笑
駅のユアエルムにはある時間になると貝殻から出現して、妖艶な人魚姫が歌い出すモニュメントもありました。
当時の技術では最先端レベルの、唇も動いていて、めちゃくちゃリアルな、そんな人魚姫のいた広場には洞窟のような占いの館もあったし、今思えば相当なおしゃれ空間でした。
(当時の友人で覚えている人はほとんどいませんが)
度々買い物帰りに寄ってくれたコロッケ屋さんのコロッケの味。
焼き鳥屋さんでお金を渡したいがため母から「ひーちゃん(自称)が渡す!」とお札を奪おうとひっぱり、破れてしまってこっぴどく怒られたこと。
そんな母娘バトルを見守り、悲惨な結末を迎えたその先の破れたお札を「セロテープで貼ればいいよ」と、笑いながら受け取ってくれた店主のおじさん。
思い出がたくさん詰まったこの街に、私のルーツはあると考えています。
しかし、この下町っ子は、小学校高学年で、茨城県に引っ越すことになります。
そこから実家は今も茨城県にあるので、出身地は茨城と答えるようになると、「方言ないね」とか言われて、結局東京の話をする。
そんなことがあるから、東京を出身地と答えてみると期間が短いので、都会ぶっちゃって〜みたく言われたりする。(葛飾は都会じゃないと思うけれど。)
ルーツは東京・葛飾。
しかし長く住んだ場所は茨城。
私の出身地はなんて言えばいいのだろうとますます謎。
正直、なんか、面倒くさい。笑
だから中途半端な期間で、首都圏出身ですというより、大阪出身だとか、北海道出身だとか、その方が印象もあるし花が咲いたりすることが多い気がして、そういうキラキラ観光地出身であることに憧れたりしてしまうのです。
そんな流れで職業も。
「何している人なんですか?」とよく訊かれるのですが、 第一段階で「デザイナーです」といっています。
さらに訊かれたら第二段階で、「ジュエリー、ウェブ、グラフィックなどのデザイナーです」とお伝えすると、ここで驚かれます。
業界が別のように思われるかもしれませんが、私からすれば全てがつながっているのです。
最初のキャリアスタートはメーカーの企業デザイナーとして、アクセサリーや雑貨、ジュエリーの企画デザインをしてきました。
ここで働いている時に自社で展示会を行っていたので、空間ディスプレイもしましたし、そのディスプレイ什器もDIYしていました。
自分のデザインした商品の一番の理解者はデザイナー自身だと思っていたので、毎回この作業も外注することなく自分たちで行っていました。
このあたりからPOPや、雑貨で使うパターンもデザインするようになり、グラフィックデザインも本格的にするようになっていきます。
そして忙しなく何年も年間何百型もデザインしては消費していく、記憶に残らない量産アクセサリーに疑問を抱くようになり、入社から5年、独立を決めました。
(このことについてはまた別の機会に…)
企業デザイナーの頃と同じような感覚で、自社サイトをデザインし、カスタマイズし… ウェブサイトに必要なバナーを作るならと写真撮影をし、それを説明するための文言やコピーを考える。
そんなことを繰り返していたら、それが仕事になり、今の形になったわけです。
企業の中で、役割分担としての職業分けは大切だと思います。
色々職業の名称がたくさん存在し分類されていますが、自分に置き換えた時なんとなーく違和感があって。
私にとって仕事って、一つ一つ割り切って切り離したりはできないものであり、一言では言い表すことのできない、やつなのです。
不器用な性格かもしれませんが、だからこそできる強みがあると思っています。
業務は点ではなく、線のイメージであり、それを繋げていくと塊になり、いろんな要素が集まってコクのあるデザインが完成する。
そうやって作り上げてきたものが私の仕事(デザイン)スタイルになったのかななんて思ったりしています。
自分だからこそできるトータルブランディングや、コンセプト、背景設計など、制作物だけにとらわれない寄り添ったご提案が、誰かの助けになるかもしれない。
一緒に作り上げ、形にしていくことがやりがいであり、一番エモーショナルなポイントなのです。
Erté(エルテ)という人物をご存知でしょうか。
彼は、グラフィック・ジュエリー・舞台美術に衣装とジャンルレスにデザインを手掛けた、20世紀のマルチクリエイターです。
私は、枠にとらわれず、多岐に渡り才能を発揮してきた彼に憧れ、そして勝手ながらほんの少しその姿に自分を重ね、そうありたいと願いiErtéを立ち上げました。
冠の「i」は、文字通り「愛」「I(私)」という意味を込め、"個を輝かせる唯一無二のデザインを"というミッションを掲げて、お客様に満足いただけるご提案をするという、自分自身への誓いでもあります。
それがiErtéの思想であり、
ジュエリー、グラフィック、ウェブを跨ぐマルチデザイナーとしての、私なりの哲学です。